2014年3月30日日曜日

震災は終わっていない(福島第2原発視察)

 1月21日、22日。福島県南相馬市と福島第2原子力発電所の視察をしてきました。福島第2原子力発電所の所内の視察の許可が出るとは思っていなかっただけに意外でした。原発に至るまでの往復では、帰還困難区域内にも入ることになり、現地までのバスの車中からは、3年前から時間が止まってしまったような街の様子を見ることができました。
宿泊した原ノ町駅前にあるステキな建物は図書館。3年前の震災以来、JRは南側の東京方面(いわき市方面)が20キロ圏内の帰還困難地域を通るため。北側の仙台方面は、相馬までの3駅間が運転していますが、以北は不通のまま。町中は一見平静に見えますが、交通手段は極めて限定されたもので、公共交通機関は福島駅から1時間。雪景色の峠を越えるバス路線のみとなっています。
 今回視察した地域周辺図。南相馬市の原ノ町駅前に宿泊。その後原発にむけて国道6号線を南下。原発視察後は富岡町から郡山市へ抜けました。(福島県ホームページより)     
宿泊した南相馬駅で参加者の皆さんとともに。
南相馬市を出発し国道を南下すると、ご覧のような検問所でチェックを受けます。携帯で様子を撮影しようとすると、警官から身分証明書の提示を求められました。テロ対策のため検問所の詳細はあまり知られたくないという理由があるようです。24時間体制での警備です。
検問所を過ぎると道路沿いには被害を受けた家屋がそのまま残されていますが、周辺では除染作業が行われていました。
原発に向かう国道から集落への入口には、すべてゲートと検問所があり、人の立ち入りは厳しく制限されていました。

南相馬市から第2原発までの行程で、第1原発がある双葉、大熊、富岡町を通過します。当然ですが、原発近くではバスの中でも線量計の数値は上昇します。


発電所に到着するとビジターセンターで事前説明です。第2原発敷地内は撮影禁止でした。所内の画像は、すべて東京電力の現地職員の撮影です。津波が到達し冷却用電源を喪失した後、非常用ディーゼル発電機を復旧し、最悪の事態を脱するまでの状況をパワーポイントを使い詳細に説明されました。
 この後は実際に3号機原子炉建屋から順に内部の視察となります。原子炉建屋内に入るためには、専用のツナギに着替え、線量計を持っての行動です。眼鏡使用者にはストラップ、女性はイヤリングやピアスも外すよう求められますが、これは、不意の落下を防止するためだそうです。ストッキングも静電気を帯びて汚染物質が付着する恐れがあるので、木綿の靴下に履き替えです。
原子炉建屋6階の使用済み燃料プール。常に冷却水が循環しています。
原子炉格納容器の中、原子炉直下の制御棒を動かす場所です。

1号機海水熱交換器建屋内の様子。指を指している投光器のランプの中には海水が残ったままです。
上の画像を角度を変えて見ると壁には浸水した海水の跡がハッキリと残されていました。津波で運ばれた海水は土砂まじりなのでこのように跡が残るという説明でした。
この後使用済み核燃料プール、原子炉格納容器内、非常用ディーゼル発電機、海水熱交換器建屋の順に視察。各所に津波到達時の水位が示され、土砂流入の痕も生々しく残るなかを視察しました。原子炉建屋内での線量は合計でも0.2ミリSv。建屋内は厳重な管理が徹底されていました。
 その後再びビジターセンターに戻り質疑応答。この原発では現在2,300人が働き、うち60名が女性ということに驚きました。それだけ線量が低くコントロールされているということなのでしょうが、いろいろと考えさせられる視察になりました。



第2原発視察後は、帰還困難地域に指定地域に入りました。JR常磐線富岡駅前に入り街の様子を視察、3・11のまま、時が止まったような息をのむ光景です。崩れたガレキ、津波に運ばれた自動車、津波が流れ込んだ駅前の食堂には、ご飯がこびりついたランチジャーが転がり、脇には家族写真のアルバムが・・・。


富岡駅の様子。この場所が駅舎だと、しばらく気づけませんでした。ちょうど正面が改札口のあった場所です。ホーム上屋の向こうには水平線が望めます。


帰還困難地域、居住制限地域とも、ご覧のように非常に厳しい状況です。マスコミ報道で分かっていたとはいえ、自分で現地に入り目の当たりにすると大きなショックを受けました。この場所を含め、震災は今でも続いています。前日の南相馬市では、震災前7万1千人の人口が、4万6千人に減少したまま。特に若い世代の家族が戻っていないことに胸を突かれる思いです。周辺地域の除染も、賠償問題も進展せず、いつしか勤労意欲までも奪われた生活を余儀なくされ、市内に戻った市民に夢や希望が持てる状況には、残念ながらほど遠いという現地の方のお話が強く印象に残りました。
(非常に強烈な体験だったため、気持ちの整理がうまく出来ないまま時間が過ぎ、報告が遅れてしまいました)








2014年3月20日木曜日

サヨナラ、そしてよろしく。


 昭和51年に開園して以来多くの子どもたちを育んできたピノキオ幼児園の園舎移転の話を聞いたのは、次男が在園当時、都市計画道路の拡輻のため、園庭の大部分が道路になってしまうと聞いたのが最初でした。
 それから幾星霜、多くの人を巻き込みながら移転に向けた話し合いが始まりました。ピノキオの園舎は、障がい児療育施設という特殊なものです。保育園とともに、施設の使い方である基本構想を固めてから設計するのが本来の順序ですが、区画整理事業の進捗に合わせる必要から、園舎の基本構想の検討を後回しにして、設計を先行せざるをえませんでした。そして、実施設計終了後の平成23年11月から、施設が行う事業詳細計画の策定を目的に、障がい児保護者を含めたニーズ集約を目的にした意見交換会が始まったのでした。
 その後も様々なできごとがあり、新園舎が完成し、すべての業務が移転して数ヶ月、ついに旧園舎の解体が終わります。施設の立ち上げや運営、通園した障がい児保護者など様々な方々のたくさんの思いが詰まった施設は、ご覧のような更地になりました。
 ウチの次男がお世話になったピノキオ幼児園の旧園舎の姿は、けやき保育園とともに、絵となって近所の、あるスタジオからプレゼントしていただきました。長年お世話になった施設の姿を何とかして残したい、との保護者の願いを原動力に、みんなでお願いして実現した素晴らしい贈り物でした。どんな絵にしてもらえばいいだろう、と打ち合せする中で、最初に絵のスケッチを見せていただいた時、描かれた園舎の様子に感動して、思わず涙がこぼれたことを思い出します。

 ピノキオ幼児園は、定員15人から21人に拡充され、児童発達支援センター「きらり」の1部門である児童発達支援事業「ピノキオ」として、その名前も残ることになりました。児童発達支援センターきらりで行われる事業も、すべてが始めから完璧なわけはなく、いろいろな不具合が生じてしまうでしょう。今後は利用者が参加する運営協議会を活用するなかで、様々な課題を解消しつつ、すべての子どもの発達支援の核となる施設として、成長することを願います。

2014年3月17日月曜日

議会日程の変更


 予算特別委員会が先ほど終了しました。議会運営委員会で決めた日程では本日が最終日ですが、予算審議が長引いて予定通り終わらず、明日の行革特別委員会終了後に、一般会計総括、国保など特別会計の審議を行うことになりました。予算区分によって答弁する担当部局が異なるため、深夜まで多くの職員を議会に拘束することが出来ないということもあり、本日の区分(消防費から予備費・最終)までの質疑が終了した時点で終わりです。そもそも、議会定例会の日程は4日間でした。これは、議長から諮問された日程に対し、議会運営委員会が全会一致で可決承認した日程です。毎回このように議会の意思で決めた日程を変更してしまうことには違和感を覚えています。議員自らが決めた日程の中で納める努力も必要と思います。議員の議論を制限することには反対ですが、市民代表としてふさわしい質問を、効率を考えて行っていくことも必要なのではないでしょうか。

交流


15日は小金井生活実習所の春のイベント「みのりフェスタ」にお邪魔しました。施設の利用者さんと家族、地域の方の交流の機会でもあります。いつもクリスマス会で使わせてもらっているホールですが、この時はちょうど学生さんのサンバの演奏でした。強烈なリズムにつられてダンス始める利用者さんの姿がとても印象的。やっぱり音楽の力は凄い!

 子どもたちが大人になるまでには、地域が様々な関わりを持つ。保育園や幼稚園から始まり、小学校から中学へ成長のステージごとに関わる場所は変わる。
  障がいがある子どもの場合は、それぞれ通っているところで、ふさわしい配慮や支援が必要なことは言うまでもない。
どのような障がいか、支援の必要な度合いはどの位か、ひとりひとり違う。小学校を例に支援の必要な順にあげると、特別支援学校>市立小学校特別支援学級>普通学級在籍・通級学級通級>普通学級となる。
 文部科学省の調査によれば、何らかの配慮や支援が必要な子どもの割合が6.5%、小金井市の場合だと普通学級在籍児童数は4,861人(25年5月)だから316人。普通学級在籍の通級学級通級児童57人(平成24年5月時点)を除けばすべて普通学級に通っていることになるが、実際の支援がどうなっているのか、学校の中の様子はなかなか外に見えてこないのでわからない。
 最近、普通学級が気になっている。学校をはじめとした担任の先生の配慮によって、子どもたちや保護者の理解が深まればいいのだけれど、現実はそうはいかない。せめて少しずつでも構わないので「交流」が出来るといい。ほんの少しの関わりで、互いを理解するためのヒントが見えてくるかも知れないから。一番困っているのは子ども自身なんだな。理解と啓発なんて、そんなに簡単ではないけれど、もっと努力してみよう・・・。そんな感動と力をいただいた週末だった。
 
 



2014年3月2日日曜日

一般質問終わりました

 鈴木成夫の一般質問が2月28日に終了しました。正式な記録ではありませんが、速報で結果をご報告します。
 ユーストリーム動画は、以下にリンクを貼っておきますのでご参照下さい。再生の始めにCMが入ったりしますが、無料サービスのためです。悪しからず。スズキの出番は45分からです。
http://www.ustream.tv/recorded/44304527

1.子どもたちの自立支援のために今できることは何か。
Q(1)児童発達支援センター「きらり」の利用状況について。
A.相談、利用件数は増えてきている。昨年12月に実施した利用者アンケートの結果も、おおむねいい評価をいただいている。連携を円滑にするため、きらり職員と関係機関職員とで顔合わせを行い、施設の目的の説明をしている最中。
Q(2)保育所や幼稚園、小中学校など他の施設との連携体制はどうか。
A.現在行われている巡回相談は、関係機関それぞれが独自に実施している事業で、将来はこれをきらりに統合する方向で考えている。現在各課で実施している事業内容に違いがあるため、庁内で調整、検討中。幼稚園保護者からの巡回相談の要望は認識しているが、幼稚園だけでなく、民間の認可、認証保育所なども含めた制度的な課題があり難しい部分があるが、保育所等訪問事業を活用すれば、幼稚園や学校などを訪問出来るので、保護者個別の求めに応じることが出来る。
Q(3)普通学級に在籍する、個別の支援と配慮が必要な子どもたちを支えていく体制はできているか。
A.小中学校では、特別支援教育支援員などの拡充に努めてきたが、個別に配慮が必要な子どもさんに限らず、学校には様々な場面で地域の市民の力が求められている。これまで学校それぞれで行われてきた学校支援ボランティア活動を組織的にすることで、効果的に学校の支援を図るため、小金井らしい学校支援地域本部の準備に向け検討している。また平成25年度から1小、緑中を地域連携事業協力校として指定し、学校の実態に合わせた研究に取り組んできた。今後は研究の成果を市内の学校に広げていきたい。

2.45年ぶりの積雪に対し、小金井市の危機管理体制について
Q(1)市民生活に関する情報発信は十分だったか。
A.大雪への備えについては、安全安心メールとツイッターで事前の注意喚起と、気象庁の大雪情報は発信した。15日は土曜日で閉庁日のため、情報システム課職員が不在のためホームページの更新が出来ずに、ごみ収集の中止やココバスの運休などの情報は発信出来なかった。防災行政無線は緊急時、非常時との判断がないと使えない。危機管理担当部長判断になる。
Q(2)公共スペースの除雪など、組織的な対応は行われたか
A.武蔵小金井駅南口は緑地管理の委託業者が、中央線高架北側の日陰部分は、業者に依頼して除雪したが、それ以外の場所は担当課職員が除雪にあたった。
Q(3)災害時要援護者に対するアプローチはどうだったのか。
A.民生委員さんにお願いし、声かけをお願いした。それ以外にも多くの地域の皆さんが自発的に高齢者等への声かけが行われたと承知している。
Q.今回の大雪に対する対応はどうだったか、最後に市長の見解は?
A.常時市役所と連絡を取り、市民の要望は聞いていた。必ずしも十分な対応とは言えないが、テレビ放映の方が遥かに詳しく、改めて我々が情報発信するまでもなかった。しかしごみ収集やバスの運休情報をどう伝えていくかは今後の課題。雪がいつやむのかという中で対応が遅れた。今回の対応を教訓に、どのような措置が出来るか研究したい。
今回の一般質問まとめ:
◎児童発達支援センター「きらり」は、今や近隣市はじめ、各地の自治体から注目を集める施設になりました。しかし、今回の質問は、普通学級にお子さんを通わせている保護者から「教育相談所でも、きらりでも相談の対象とされずに4月の進級を前に特別支援学級への転籍を進められている」という相談をいただいたことがきっかけです。きらりにも出来ないことがあることは否定しません。しかしきらりに対応出来なければ、対応が可能な施設や相談機関につなぐのがきらりの使命です。相談者に対して、きらりが「相談されたお子さんにはきらりでは対応出来ない」と言ってしまったことは、とてもショックでしたし、大変残念です。仮に相談者と施設職員との間で、ものごとの伝え方に誤解があったとしても、今後こういったことが起こらないよう、きらりが真の支援の主体者になるよう、担当課のより一層の努力をお願いします。そして学校教育の側にも十分な制度理解と保護者支援の取り組みが不足していることは指摘しておきます。今こそ、教室の子どもたちを様々な場面で支える取り組みである学習支援ボランティアの拡充が必要なのではありませんか?  教育の場に、小金井市の高い市民力を活用する仕組みとして、今回学校教育部長より答弁のあった学校地域支援本部の準備を加速し、学校支援に関わるボランティア市民の数を増やしていく努力を続けるべきです。
◎2週間連続しての記録的積雪に対する市の対応については、行政機関として危機管理意識の欠如と、体制のゆるみを指摘せざるを得ません。大量に寄せられる市民からの情報をただ受動的に受け止めるだけでは、どう考えてもダメでしょう。情報の発信ツールは東日本大震災以降小金井でも整備されたのです。今回の大雪は、これを活用すべき時だったのです。ココバスのバス停で来ないバスを行列して待つ市民に対し、何の情報も発信しなかった罪は軽くないと思います。小金井市も、こういった判断を市長ではなく、現場の長が迅速に下す組織に変えていくべきです。そして市長答弁として「テレビで詳細に報道されていたので、改めて市からは情報発信するまでもなかった」という言葉が出てきたことは驚くばかりです。市の、地域に密着した生活情報こそを積極的に発信していくべきでしょう。行政のトップの危機意識のゆるみは市の組織全体に波及します。今回の失敗を2度と繰り返してはなりません。
◎今回の収穫:
巡回相談は学校や保育園など、各課が独自に事業を行っているために、施設ごとに制度と取り組みの詳細に違いがあり、支援の対象が、どちらかというと子ども中心ではなく、施設職員対する支援になりがちなことがわかりました。保護者が、自分の子どもが利用する施設に対し最適な配慮と、支援の助言を求める場合は、巡回相談とは別に、きらりが行う「保育所等訪問事業」ならば、きらり職員が施設を訪問して支援につなげることが出来るとわかりました。また、以前の質問で取り上げた「学校支援地域本部」の設置に向けた準備が始まっていることが、部長答弁で明らかにされたことも大きな収穫でした。

生きづらさを救う居場所とは (発達障がい者当事者青年Rさんのお話を聴いて)

昨日の午前中は、公民館貫井北町分館で「コロナ禍を経験して考える 人と地域がつながる共生社会」講座でした。 7 月 23 日まで 6 回連続で様々な生きづらさを抱える当事者のお話しを聞く男女共同参画講座 の第 1 回目で、講師はこれまで 3 期にわたり小金井市地域自立支援協議会...